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アメリカで寿司を握った男の話。Ep.2

アメリカで寿司を握った男の話。Ep.2

※細部はファジーな部分もありますがご了承ください。

今から30年程前、特に夢や目的があったわけではないが、現状から脱出する為誘われるままアメリカ・ロサンゼルスへ渡った張さん(仮名)。アメリカンドリームとはまさにこのことか?

寿司を握ったことがないまま日本食レストランで働きなんちゃって寿司職人になったが、同僚には他国、特に不法就労のメキシコ人が多かったので、日本人が握る寿司はそれっぽく見えたようでそこそこ評判が良かった。当時は(今も?)日本食レストランはとても高級だったので、お客さんもそれなりの人たちが来たらしい。

お店はそこそこ儲かっていたはずだったが、だんだんと異変に気づく。

住むところとして用意されていたのは彼の言葉を借りると"蛸部屋"(※主に昭和中期に北海道の非人間的環境下で労働者を身体的に監禁・拘束して行われた過酷な肉体労働に使われた言葉が起源)まさにカイジの世界?恐らく↓の洋風バージョンでしょうか。

そしてよくよく計算すると給料は、時給にすると¥200程度。とても暮らしていけなかった。とはいえ、働いている外国人は張さんも含め、皆不法就労者。少ない給料でも、蛸部屋でも、食住が保証されているだけに皆働くしかなかった。帰国するにも、チケットを買うお金がない。スマートフォンはもちろん存在せず、Wi-Fiが登場したのも1990年代後半なので、日本との連絡も簡単にはとれない環境。面白い話が、通常観光ビザで入国する場合は当たり前だが往復のチケットがなければいけない。それはもちろん当時も同じだったので、張さんのような人たちは往復のチケットを持っては行くが、帰る気はないので現地で同じような状況で滞在し、帰国したい日本人に帰国便チケットを安く売るのが主流だったらしい。(恐らく今は厳しく本人以外は使えないはず?)

 

そう、話を戻すと張さんは騙されてアメリカへ連れて来られたわけです!!!

 

 当時のアメリカはまだまだ治安の悪い地域が多く、私が住んでいた頃(約10~13年程前)では考えられないような、外でドンパチしている(銃声があちこちで聞こえる)時代。その為、ショップやレストランは危険と隣り合わせで銃を常備している場所が多く、張さんの日本食レストランも例外ではなかった。 

外では度々暴動が起きる。暴動が始まれば弾が飛び交うのでお店はシャッターを閉めクローズに。もしもの時に備えて銃を持って待機する。そんな環境下、命懸けで時給¥200で蛸部屋に住みながら異国で生活。あなたにはできるだろうか?

私が仕事で少しだけ住んでいた頃の話をすると、治安で言えば遥かに良くなってはいたものの、悪いイメージが付き纏っていた為かハリウッドやビバリーヒルズがほど近いとても安全なエリアに住ませてもらうことができた。向こうで出会う日本人の若い子たちはStudent Visaで入国し、学費だけ払い学校にはほぼほぼ行かず、本当はNGだがアルバイトをして生活費を稼いでいた。今も昔も不法就労は横行しているが、銃弾が飛び交うのが日常ではないし、時給¥200なんてことはもちろんないので遊び半分で行く日本人も今では多いことでしょう。

 

 続く。