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イチロー氏、米野球殿堂入り式典 スピーチ全文

イチロー氏、米野球殿堂入り式典 スピーチ全文



「本日、私はもう2度と感じることのない気持ちを抱いています。人生で3回目のルーキーとなりました。

まず最初は1992年 オリックス・ブルーウェーブからドラフト指名された後、そして2001年シアトル・マリナーズが契約してくれた時、私は27歳で再び新人となりました。

今こうやってロッド・カルー ジョージ・ブレット トニー・ラルーサのような殿堂入り人物たちを見ていると、自分は再び新人になったんだと実感しています。あなた方の素晴らしいチームに私を温かく迎え入れてくださり、感謝しています。

野球殿堂の価値を自分が損なわないことを祈っていますが、私は51歳なのでお手柔らかにお願いします。もう私はHootersのユニフォームを着る必要もありません。

最初の2回は感情を管理するのに苦労しませんでした。なぜなら、私のゴールが常に明確だったからです。

「最高峰のレベルでプロフェッショナルにプレーすること」

今回は凄く違います。なぜなら、自分のプレーが存在も知らなかったこの神聖なる野球の地へと導いてくれるかもしれないことを、日本で少年だった頃の自分は全く想像できなかったからです。

人々はよく私を記録の数々で評価します。3000本安打 10回のゴールドグラブ賞 10年連続のシーズン200安打 悪くないよね?

しかし真実を言うと、野球以外では間抜けな人だと思います。私は悪いチームメイトを持ちましたからね。ボブ・コスタスさん。

野球は単に打って、投げて、走るよりもはるかに大きいものです。野球は私に、大事なことを決める価値ある決断の方法を教えてくれました。私の世界の見方を磨く手助けをしてくれました。子どもの頃は永遠に野球ができると思っていました。歳をとるにつれて、最高峰のレベルで45歳までプレーし続ける唯一の方法は、私の全てを野球へ完全に捧げることだと気付きました。

ファンが貴重な時間を使ってあなたのプレーを見に来る時、あなたには彼らへパフォームする責任があります。10点差で勝ってようが、10点差で負けてようが、開幕戦から162試合目まで同じモチベーションでいることが義務だと私は感じていました。
シーズンが終わるまで、私は自分の用具をパッキングしたり、荷造りしたりは絶対しませんでした。それぞれの試合に、全ての日に、ファンへ自分の全集中を与えることが私の職務上の義務だと感じたからです。

ファンはいつ試合に来ようとも楽しんでもらうのが当然です。野球はプロフェッショナルでいることの意味を教えてくれ、そしてそれが今日 自分がここにいる最大の理由です。スキルが他人よりも優れていたからではありません。3000本安打やシーズン262安打のような記者から評価された功績もあります。「1人以外」ですが。自宅でディナーを共にするという招待状も今は期限切れですね。

19年間、毎日、一貫して、多くの細かいことに注意を払わなければ、私は記者の皆さんに認められるような記録を達成することはできなかったでしょう。
私が個人的に毎日用具に気を配っていたのは、グローブの紐が緩んでエラーを起こしたり、スパイクを掃除していなかったために盗塁を失敗してしまったりするリスクを犯したくなかったからです。

レギュラーシーズンだけでなく、オフシーズンも真剣なルーティンがありました。
毎年初のキャンプイン時にはすでに私の腕は出来上がっていて、マリナーズの専属アナウンサー リック・リズがこう言うのを待っていました。
「なんてこった!イチローのレーザービームだ!!!」

小さなことをコンスタントにやれば、達成できることに限界はありません。
僕を見てください。 僕は180cm 77kgです。当初アメリカに来たとき、多くの人が大柄なメジャーリーガーと競争するには私が痩せすぎだと言いました。
初めてフィールドに飛び出したときは、私もメジャーリーガーたちの完成度に畏敬の念を抱きましたが、準備に対する信念を貫けば、自分自身さえも疑念に打ち勝つことができると思いました。

チームのためにできる最善のことは何かと聞かれたことがあります。 私の答えは、自分自身に責任を持つことです。自分に責任を持つということは、自分に答えるということ。夜に家に帰り、なぜヒットが打てなかったのか?なぜボールをキャッチ出来なかったのか?と考えるとき、 正直な答えは、偉大なピッチャーに負けたからでも、タフな敵が目に入ったからでもありません。 もっと上手くやれることがあったはずだからです。
自分に責任を持つことで、チームメイトをサポートし、ファンにごまかしをしなくなります。

子供の頃、私の夢はプロ野球選手になることでした。小学生のときには、夢について作文も書きました。もし今、あの作文を書き直せるとしたら、私は「夢」ではなく「ゴール」という言葉を使うでしょう。夢は必ずしも現実的なものではありませんが、ゴールはリスクをどのように犯すか?を深く考えれば可能となります。「夢」は楽しいものですが、「ゴール」は難しくチャレンジングです。

本気でやりたいことがあるなら、やりたいことをやるだけでは不十分で、そのために何が必要かを批判的に考えなければなりません。プロ選手になるためには日々の練習と準備が大切だと書きましたが、自分の目標を見続けているうちに、一貫性が達成へのちょっとした土台になることも理解できるようになりました。私は若い選手たちに、夢を、大きな夢を持つことを推奨していますが、一方で夢と目標の違いも理解することも重要です。夢を目標にするためには、それを達成するために何が大切かを素直に考える必要があるのです。

小学生の頃の作文には、地元の中日ドラゴンズでプレーするのが夢だと書きました。 当時、私はアメリカの野球について何も知りませんでした。ただ野球が好きで、生涯を通じて最高のレベルでプレーできるところならどこでもプレーしたいと思っていました。
オリックスにドラフト指名されたとき、私は目標の第一段階を達成し、初めてフルシーズン1軍でプレーした初年度、そしてその後も毎年、首位打者を獲得しました。

外から見れば、すべてが順調で何の心配もないように見えたかもしれません。
しかし内心では、なぜ自分が結果を出しているのか理解できず苦しんでいました。 私は見つからない何かを探していたのです。そんな中、歴史的な出来事が起こりました。 野茂英雄が、私が生きている間では日本人初のメジャーリーガーになったのです。
野茂英雄の勇気のおかげで、日本ではMLBが常にニュースとなり、MLBの試合がテレビで放送されていました。私の目は、想像もつかないようなところへ挑戦することに突然開かれたのです。

(日本語で)野茂さん ありがとうございました。

MLBに挑戦させてくれたオリックス・ブルーウェーブに感謝しています。

またそしてシアトル・マリナーズに対しても、私がMLB初の野手になれると信じてくれたことに感謝しています。それ以来私は、シアトルとマリナーズを愛しています。
ありがとう シアトル。

この偉大な殿堂入り栄誉によって、私と契約してくれたゼネラル・マネージャー、パット・ギリックと再会できることに感激しています。

パット、オーナー、当時の幹部たちに感謝いたします。 山内溥さん、ハワード・リンカーン、チャック・アームストロング、そしてマリナーズの他のチームのみんな ありがとう。現経営陣、ジョン・スタントン、ジェリー・ディポート、ケビン・マルティネス、そしてその他の皆さん、私の居場所を取り戻し、シアトルを終の棲家とさせてくれてありがとう。またエドガー・マルティネスやケン・グリフィー・ジュニア、ランディ・ジョンソンと新しいチームで一緒になれて光栄です。 今日は来てくれてありがとう。

そして、ニューヨーク・ヤンキースへ ありがとう。
君たちが今日、本当にC.C.のためにここにいることは知っています。まあ大丈夫ですよ。 彼は皆さんの愛に値しますから。私自身ピンストライプでの2年半を凄く楽しみました。デレク・ジーターの偉大なリーダーシップと、あなたの組織の誇り高き文化を経験させてくれて、ありがとう。

そしてマイアミ・マーリンズ
デビッド・サムスン、マイク・ヒルが今日この場に出席してくださり、感謝しています。
正直なところ、君たちが2015年の契約をオファーしてきたとき、私はマーリンズを全く聞いたことがありませんでした。

しかし、私は南フロリダでの時間を愛するようになりました。
40代半ばになっても、若い才能あるチームメイトたちに囲まれて、私は選手として成長できたのです。コロラドで私の3000本安打を祝って飛び出してきた彼らの姿は、決して忘れられません。その瞬間を私と共有できた幸せは、とても純粋で誠実なものでした。 マーリンズの選手として、そしてあのチームメイトたちと3000本安打を達成するチャンスを与えてくれて、ありがとう。

そして、私にとってビジネスを超えた重要な存在であった代理人の皆様へ。
残念ながら、トニー・アタナシオはこの瞬間を知る前に他界してしまいました。
私は彼に、私をアメリカに連れてきてくれたこと、そしてワインを愛することを教えてくれたことに感謝します。

そしてジョン・ボッグスへ、私が42歳になってもプレーできると信じてくれて、それ以来、私のキャリアに情熱を注いでくれていて感謝します。

私の長年のインターアクターであるアラン・ターナーと彼の家族へ、私がプレーすると決めたらどこでもサポートしてくれてありがとう。

米国野球殿堂の素晴らしい組織の皆様にも感謝します。また殿堂入りを果たした皆様、おめでとうございます。

私が日本からMLBにポジションプレーヤーとして挑戦することを決めたとき、多くの疑念があったことは想像できると思います。批判や否定もありました。「国民に恥をかかせるな」と誰かが言ってきたこともありました。

私を一番支えてくれたのは妻の弓子でした。彼女も疑心暗鬼になるのは当然だったでしょうが、彼女は私にそれを感じさせませんでした。彼女のエネルギーは私を支え、励ますことに注がれていました。シアトル、ニューヨーク、マイアミでの19シーズンにわたり、彼女は私たちの家庭がいつもハッピーでポジティブなものであるように配慮してくれました。私は選手として一貫性を保とうとしていましたが、彼女は私がこれまで持った中で最も一貫性のあるチームメイトです。

引退して間もなく、弓子と私はデートをしました。選手時代には決してできなかったことをしたのです。観客席に座り、マリナーズの試合を共に楽しみました。ホットドッグを食べるアメリカ流でね。野球が私に与えてくれた全ての経験の中で、今この瞬間を迎えるのに最も重要だった人物と、試合を観戦しながらホットドッグを楽しんだことは、最も特別なことでした。

アメリカの野球殿堂に入ることは、私の目標ではありませんでした。2001年に初めてクーパーズタウンを訪れるまでは、その存在すら知らなかったです。でも今日、この場所にいると、確かに素晴らしい夢のように思えます。

ありがとうございました。」

引用元:X( @SOMETIMES AKIRA)


現役時代は常に張り詰めた緊張感の中で戦い続けたイチロー氏の近年見られるとてもキュートな場面に心を動かされる素晴らしいスピーチでした。

時折挟むユーモアは現地でもウケてましたね。ヤンキースの面々にサバシアの為に来てるんでしょ、のとこやマイアミのことチーム自体知らなかったってとこ、中でもリック・リズの実況のモノマネは素晴らしかったw

そして日本語で野茂氏のありがとうございます、と伝えたところや弓子夫人とのホットドック食べながらの観戦の話等、会社に行く電車で私泣いてしまいました。

youtubeでも翻訳されている方いましたので共有いたします。紳士的で堂々としたイチロー氏のスピーチ、ぜひご覧ください。

(Staff Suzuki)