ロベルト・クレメンテとは?
MLBにおけるヒスパニック系選手の先駆け的存在であり、プエルトリコ出身の選手のレジェンド的存在。
マイナー時代はジャッキー ロビンソンも所属したドジャース傘下のモントリオール ロイヤルズに所属も黒人差別で出場機会を与えてもらえずいた中、ピッツバーグ・パイレーツのスカウトの目に留まりパイレーツに入団。1955年から1972年までの18シーズンを、パイレーツ一筋で過ごしました。
シーズンMVP1回、ワールドリーズMVP1回、首位打差4回、ゴールデングラブ賞12回等華々しい成績を収め、MLB通算安打数は3000本にも及ぶMLBを代表する選手の一人でした。
こちら1971年ワールドシリーズゲーム7でのソロ本塁打の写真。
シーズンオフにはプエルトリコやラテンアメリカ諸国において野球道具や食料を必要としている人々に提供する等慈善活動に関与しており、1972年12月31日に起きたニカラグア地震の際も援助物資を提供するためにニカラグアへ向かうチャーター便の飛行機に同乗し、その途上で航空事故に巻き込まれ、死亡しました。
没後、1973年アメリカ殿堂入りし背番号21はパイレーツの永久欠番になりました。
生前、クレメンテが慈善活動に積極的に動き、事故死したのもその活動中だったことから、メジャーリーグ機構では、これまで慈善活動を行ったメジャーリーガーに贈られる「コミッショナー賞」という名の功労賞を、「ロベルト・クレメンテ賞」と改称。ロベルト・クレメンテ賞はMVPに匹敵する名誉ある賞となっております。
と、そんなロベルト クレメンテに敬意を評した「ロベルト クレメンテ デー」は各チームユニフォームの胸に「21」のパッチを付けプレー。チームによって希望する選手がクレメンテの背番号「21」を着用しました。
ムーキー ベッツ
アーロン ジャッジ
クレメンテの息子たちによる始球式も。